『シャンブル』全曲レビュー … 12) R&R IS NO DEAD

  • 阿部義晴作詞作曲、そして歌。初聴きで真っ先に思ったのは、「これは……奥田さんに歌ってもらったほうがよかったのでは……」でした。
  • 誤解してほしくはないのだが、私は阿部さんの歌声はとっても好きだ。好きでなくって4年も5年もソロライブに通うか! とか言いながら『スカイハイ』の項を書いているとき愕然としたのは、聴いたアルバムの枚数だけでいうと奥田>阿部だと判明したことなのだが。でも延べプレイ回数でははるかに逆転してるよ! 信じておくれ! ってなんで浮気がばれた旦那みたいになってるの私は。
  • よく言われることだが、ぱっと聞き奥田と阿部の歌声は似ている。それだけに湧き上がるこの残念感……や、『WAO!』はよっちゃん(注:阿部)炸裂でよかったと、心から思うんだがね? この曲は演奏がヘヴィだからね? 太刀打ちできるのはやっぱり、地鳴りのごとき奥田さんのね?
  • とか思ってたんですけど、繰り返し聴くうちにうっかりあいがめばえてきました(´ρ`)
  • 『スカイハイ』で書いた、奥田と(一方的な)私の旅路。阿部に対してもそういうのはあって、それももっと花開き方が急速だったといえる。最初の『A』(ほんとはAの字を丸囲み)で、え、これが阿部ショウの人のソロ?ととまどい、次の『ワイルドファイヤー』はもう何度も何度も聴いて、『風花雪月』には阿部も大人になったなあ…(何様)としみじみしたものだ。
  • なんでとまどったか。ユニコーン時代……いや第一次ユニコーン時代の阿部とは、「ユニコーンという器用なバンド」の象徴ともいえる存在だった。と思う。途中加入するまではそもそも技術側にいた人なので、レコーディングでは要だったし。ステージではステージで、サービス精神が昂じてパフォーマンスを派手に繰り広げるし。三段積みのベースアンプに飛び乗ってEBI様にめちゃめちゃ怒られたこともあるらしいので、サービス精神だけが理由かどうかは怪しいですけどね!
  • そんなショーマンの出したアルバムにしては、『A』はおそろしく不親切な一枚だった。タイトルが標準フォントで出せないってところからもうね。「やあやあお茶とクッキーをどうぞ、ぼくのギターでも聴く?」って待遇を期待して家を訪ねてみたら、なんか主が向こう向いて寝てて、タオルケット直しながら「ポットそこだから…お茶勝手に入れていいから…」みたいな音。このたとえで何人がイメージ湧くんだって思うけど。
  • でもそいつの部屋にいるのが、わりと嫌じゃなかったんだなあ。仕事場の顔はなんだったんだと思いつつ。
  • 振り返ってみれば阿部のソロ史は「器用なショーマンで通してた仕事場に、いかに素の自分を持ち込むか」史だったのかと思う。何かになりきったほうが歌とは上手く聴こえるもんなのか、ソロ以前と以後で阿部さんのボーカルはおぼつかなさが増した気がしなくもないんですけど(婉曲な表現)しかし私は、好き、後のほうが断然。
  • 残念ながら近年は、彼の「素の自分追究」が少し私の聴きたいものから離れてきたような、遠巻きに見る気分だったのだが。本アルバムで、ひさびさに「あの阿部」に会った気がした。試行錯誤のファーストを経てのセカンド『ワイルドファイヤー』これが良くってね! 寝込んでないが取り繕ってもいない、おれはおれのしょうどうをうたうのだ! という切実さがきらきら輝くアルバムであった。
  • 本曲の、ヘヴィな演奏を向こうに回したおぼつかない絶唱にも、それと地続きの切実さを見たわけだよ。『君に再突入』『愛の温泉』『オセロマン』等々の名曲に並び立つ情動を。それが名曲のタイトルかと言われそうですがそうなんです!(力説) なにしろ歌詞に「う゛ぉー」って書く人だ。ああ、それを思うとこの曲はやっぱり奥田さんでなくてよかった。「う゛ぉー」なんて入った歌詞を歌う人間は阿部義晴以外ありえない。
  • そして「おぼつかなさ、切実さ、素の顔」というキーワード。それは本アルバムにあって、ユニコーン第一期に見られなかったものでもあるじゃないかと。第二期に入っても阿部はやはり、このバンドの何かを象徴しているのじゃないかと。