『シャンブル』全曲レビュー … 15) HELLO

  • 『パープルピープル』がアルバムエンディングで、十分名盤だった。『サラウンド』で宇宙船が空へ帰ってゆき、『パープルピープル』では揃いの衣装から着替えたおっさんたちがそこにいて、楽しげにセッションしている。そこで終わっても、ああ、何かのオトシマエはついたんだなと納得したと思う。広島三区に立候補したりサンバなボインとできちゃったり、それぞれ好き勝手に生きるつもりらしいけど、またいつか集まってみればいいじゃん?と、こっちも大人に対応できたのである。
  • しかし「空見てごらん」と声がして、見上げたら宇宙船のかわりにタイムマシーンがいた。
  • なんだ、おまえらまだずっとバンドでいるつもりか。そっちがそうなら、こっちだって客観的になんてなってやるかい。で『シャンブル』は、名盤以上の何かになった。
  • 聴けば聴くほどEBI様のベースが凄まじい。いつか「バンドの要とはボーカルでもギターでもなくドラム」と書いたとき、もちろん脳裏にはこのバンドもあった。より正確に言うと、私にとってはバンド=ドラム+ベースなのだね。人間で言うと、ドラムとベースのコンビが「その人本体」な感じ。たとえばの話、ユニコーンから奥田さんが抜けちゃっても、人間で言うと「あなたは変わってしまったのね…」レベルの変貌だと思う。川西くんが抜けちゃったら「つーか、おまえ誰」だ。実際抜けたけど(←嫌味か)。『SPRINGMAN』の次がもしあのまま出てたとしても、私はろくに聴かなかったろう。
  • 別に仲悪くもないだろうが格別親しいとも思えない、川西幸一のドラムと堀内一史のベースが合わさると、どうしてこうもわくわくするのかな。この二人の顔合わせを再び成し遂げただけでも宇宙的快挙だったと思うよ。
  • そして人間で言うなら、「今日はどの服を着よう」「どんなヘアスタイルにしよう」と考える「頭脳」が阿部義晴か。昔は極端な服をとっかえひっかえ着てたようだけど、最近は何気ないニットなんかもさらりと着れるようになっちゃって。本曲もそんな直球の賜物だ。タイムマシーンに乗って君に会いにゆく、まるで少年漫画みたいなパッション。昔のユニコーンにはあったようでなかった。気がする。
  • そのパッションを声の限りに(前曲に続いて)代弁する奥田民生。『サラウンド』の嘘はないけど煙に巻くような、いいかげんなようでひたむきなような詞を書く人が、『HELLO』のまっすぐな言葉を叫ぶ(叫ばされる)のはやや感動的で、少し微笑ましい。(あと、ちょっとエロい。……ウルトラマンが怪獣に負けそうになるのがエロいとか、そういうプリミティブな意味で) ユニコーンの「正しさ」とは、結局この人なのだな、とか思う。声の力もしかり、音に対する「選球眼」もまた。
  • 黙々と、きらきらとギターを織り交ぜる職人手島いさむ。前項の妄論を押し進めれば、この人は川西くんと対照的に「その場にいて、積み重ねること」に意義を感じる人に見える。だからずっとその場にいてほしいと願う。ユニコーンの「歴史」を持ってる人だと思う。
  • さて歌詞を聴く。それで、「泣いていたきみ」と「元気だったきみ」は、別々と見ることもできるよなあと考えた。そうすると「泣いていたきみ」はなんとなく子供のようにも聞こえ、「元気だったきみ」は大人のようにも聞こえる。そうすると、「元気だったきみ」はもう、もしかするとこの世にいないのかもしれないなあと考えた。
  • なぜなら死んでしまった人を思い浮かべるとき、「元気だった」という形容はとてもしっくり来る。不幸な事故や事件で突然世を去る例外ももちろんあるけれど、大多数の人はまず元気じゃなくなって、しかるのちに死ぬのだ。周りの人間は「元気じゃない彼・彼女」という現実を不本意ながらも受け入れて、そして看取る。あとから会いたいなあと思うのは、不本意だった途中経過ではまずなく「元気だった彼・彼女」だ。
  • そんなふうに聴いていると、タイムマシーンの周りを飛びすさってゆく「光」は本当に「命」なんだなと思った。明日死ぬことはさすがにまずないと思うけど、来年死んでるのは別に普通にあること、と知ってる人間が書いた歌だなと思った。
  • だから、別れの日にグダグダになってやっちゃったっていいじゃん。一度やめたバンドを、すました顔して再開したっていいじゃん。どこかで時間は有無を言わさず終わっちゃうんだもん。文句を言う人が、私たちの寿命を延ばしてくれるわけではないし。
  • と、流れゆく光たちを眺めていた当初。そこのメロディがなぜか懐かしく、聞き覚えのあるものに感じた。まもなく判明したそれは、懐かしいというにはちょっと大げさな66分前。
  • 『ひまわり』の冒頭の、果てしない世の中に、光たちのメロディは重なっているのだったよ。