『シャンブル』全曲レビュー … 11) 最後の日

  • オブラディ・オブラダであって、カンフー・ファイティングである。いや後者は的確じゃないかも。わたくしチープなディスコミュージックに(も)造詣が深くないので。
  • とにかく奥田民生・詞・曲・歌の本曲は、例によって(スカート穿いたEBI様のヘフナーベース含む)きらめく音楽素材をちりばめた、ぼくたちこんなのもできるんですよ的ナンバー……のようでいて、だが、これは何か違う。気がする。
  • 本曲の主人公は、別れの日をいままさに迎えている。古来、歌に登場する恋人たちといえば、二人でドアを閉めて二人で名前を消したり、おかしくって涙が出そうになりながらあの三叉路でお別れしたり、冷たい壁に耳を当てて靴音を追いかけたり、まあ悲しみと強がりと、ちょっとした自己陶酔を胸に別れていくものである。翻って本曲はどうか。
  • 別れの日、もはや話すこともあまりない主人公とその相手だ。が、ふとした拍子に体がぶつかりでもしたのか。なんかその感触が離れがたいのである。恋仲だったくらいだから当然っちゃ当然、触ってればそりゃ気持ちいいのだが、今日はもうこの部屋を出ていくのだ。こんなことしてる場合じゃない、んだけど。気がついたら、なんか二人とも裸で抱き合ってるのである。何やってんの俺。むしろおまえ。脳の片隅で別の意味でも突っ込んでみる主人公(おい)。だが無言の進行に水を差して、すべて台無しにすることはどうしてもできない。だって胸いっぱいなのだ。最後にこんなに仲良くできるなんて夢みたいなのだ。
  • 実にだらしない、J-POP史上まれに見る情けないカップルではなかろうか。主人公だけ情けないパターンはけっこうあるけど。この主人公にしてこの相手ありというか、お互いなし崩しのグダグダ感が、歌ではまれだけど、でも、すっげーリアルに響きはしないだろうか。
  • だいたい、最後の日に思うことが「胸いっぱい」で「夢みたい」って。それはふつう最初の日に思うことだろ、と言いたいがこの曲では、始まるときはグラスにシャンペン、"I Just Call To Say I Love You"かなんか流しちゃって("All Day Sucker"だったら笑うけどな)やたら余裕をかましている。始まるときは余裕で、終わるときは胸いっぱい。これもまたやけにリアルで、あと言いたかないが、おっさんだなあ……と思う。
  • ついでに決めつけると、夢みたいなひとときが過ぎたこの二人は、よりを戻すか、と思いきややっぱり別れるんだろうなと思う。「夢は再度の日」だし。なし崩しで気持ちよさに負けちゃうくらいゆるいけど、気持ちよさと別れる理由は別、とわかってるくらいには冷静なのだ。大人って汚い。(笑うところです)
  • さて往年のユニコーン奥田でちょいエロな異色曲といえば、『命果てるまで』を思い出す。しかしあの主人公は、やりたいようにやっていながらいやに醒めていて、まったく身勝手な若い男だった。歌の主人公がそのまま作者だなんて思いはしないけれども、それにしてもこの違いには、少し胸を打たれる。『最後の日』のだらしなさ、情けなさのほうが、ずっと愛おしいからだ。
  • こんなに素直に「情けないぼくら」を歌える人に、歌っても揺るがない人たちになったんだなーと思う。そして自分でも脈絡がよくわからないんだが、最後の日に黙って仲良くしてしまうカップルの胸いっぱいさと、16年の時を越えた人たちの底抜けの笑顔と、どこか同じものって気がするんだ。