忙しい人のための5分でわかるザ・ビートルズ年譜(覚えやすい通称付き)

  • 引き続き初心者向けに、目まぐるしく変遷したバンドの全体像をまとめてみたい。カタカナの名前は覚えづらいと思うので、目印つきの親切設計。

有史以前
イギリスの港町郊外で生まれ育ったジョン(近眼)ポール(タレ目)ジョージ(かもめ眉)がやっていたのは、港町によくある革ジャンロックンロールバンド。地元でそこそこ人気はあったが、将来はよく見えなかった。

1962年
前年暮れ、人生に挫折しかけた家具屋のぼっちゃんエプスタインが押しかけマネージャーに納まる。やり手とはいえない彼だが猛烈な熱意でレコード会社へ売り込み開始。同時に猛烈な熱意で革ジャンからスーツへバンドのイメチェン断行(個人的趣味)。売り込みは軒並み失敗し、ようやく最後にお笑いレーベルに拾われる。このとき近眼22歳、タレ目20歳、かもめ眉19歳。そしてよそのバンドからリンゴ(鼻)22歳をスカウト。

1963年
お笑いレーベル社長マーティン(イケメン中年)がせっかく売れ筋ポップソングを用意してやったのに、新人どもはしょうもない自作曲を出したいとぬかす。やけくそで斬新なアレンジをしてみた。ら、売れた。なんだか次々売れた。あっというまに英国一の売れっ子になってしまった。近眼とタレ目のコンビはいつのまにか名曲を書くようになっていた。

1964年
試しにアメリカで売り出してみた。ら、これまた売れた。オーストラリアでも売れた。ヨーロッパ中で売れた。売れすぎて疲れてきた。曲も聴かずにギャーギャー言ってる客ばっかりだし。

1965年
疲れてきたので薬に走ったりしつつもツアーとレコーディングの日々は続く。

1966年
日本にも来た。フィリピンにも行った。自分らの音が聞こえないライブにとうとう嫌気がさしてツアーやめる宣言。レコーディングに没頭し始める。

1967年
当時の技術水準からはすさまじくかっとんだアルバムをリリース。服装もスーツからサイケな花柄極彩色へシフト。ロックが子供の音楽から若者の文化へと定義を変えちゃったりした年。そんななか、目的を見失ってしまったのかもしれないぼっちゃんマネージャーがオーバードーズで世を去る。

1968年
反発は山ほどしても、やっぱりマネージャーを全員どこかで頼りにしてたのか。近眼は落ち込み日本人女性との恋に逃避し、タレ目は必要以上にみんなの尻を叩いて空回りし、かもめ眉は自我に目覚めてアルバム上の領土拡大を狙い、あんまり雰囲気が悪くなったもんで鼻が一時脱退(数日で戻ったが)。サイケ時代はもはや終わりを告げ、なんかみんな老けた。

1969年
初心に戻ってライブをやろうと計画したけれど、リハーサルのスタジオが寒すぎてますます関係悪化。慣れない経営問題も絡んで泥沼に。それでも最後の力を振り絞り、美しいラストアルバムを制作。

1970年
バンド解散。

  • 改めて見てみると、時間がものすごく凝縮されている部分と比較的ふつうに過ぎていく部分があるなあ。そしてこのなかで12枚のアルバムと22枚のシングルが作られたんです。どうしてどうして、働き者だよ。