第48回 流山

  • 毎回毎回あからさまに贔屓のキャラクターに論考が偏りつつ、一応「論考」たらんと体裁を整えてきたこの感想文。もう終りも近い。いっぺんぐらい、体裁をふっとばして頭の沸いたただの主観だけの文章で始めてもいいよね。
  • 局長きれいだったなあ。ああ。読みの浅い私が、途中まであの場の展開主導者が加納だと思い込んでたせいもあるけれど、すべて引き受けたあの微笑みに完全にやられた。一世一代の大芝居より(元)部下の前で局長であることを取ったんだ。そういう人だった。綺麗事に作りすぎとか、言いたきゃ言えよ。馬鹿とか言うのもいいよ。だって馬鹿だよ。馬鹿だけどきれいだからいいじゃないか。
  • いつもの調子に戻るため一行休む。ああ局長(消音)
  • 終り2回というところにきて古田新太だの山崎一だのが出てくることに、作り手の、なんというか公平な視線を感じる。この大河では見慣れない顔だけど、この人たちも今までそれぞれに物語を背負ってきたんだと思える。次の時代を担うだけの中身のある人たちが、確かにこっちにもいるのだ。
  • あそこで捨助を撃っちゃったら、とりあえず口封じはできるけどどー考えても後が続かないでしょう! まずいでしょう! と思いつつ、いけ土方!と心で叫んだ鬼視聴者が少なくないに1000両。
  • いい話ではありつつ、そんなんで見逃しちゃっていいのかという気にもなる有馬藤太の振舞いだが、この人もそもそも義を重んじる変わり者なんだろうね。登場シーンですでにそれがにじみ出ている。いや正直に言うと、最初見た瞬間は何この人、食人族!?と思いましたごめんなさい。
  • これからはおまえの時代だと周平に言い残す局長。そうなんだよ局長だってわかってはいるんだよ客観的な状態は。でもそれと、自分の心が納得できるかどうかは別なのだ。
  • 納得できなくても飲み込んで、時代の隅でじっと生きていく人は、えらい。納得できないから自分が行けるところまで、大罪人と言われようと歩いていく人も美しい。どっちが正しいとかの問題ではない。先週はそんなことを言いたかったでした。