第43回 決戦、油小路

  • 脚本家はきっとわかってつけているはずだが、どうよこのサブタイトル。決戦!て、そんなとこでやってる場合じゃないだろうと。相手が違うだろうと。
  • 局長は相変わらず詰めが甘い。懐柔したらしたで、アフターケアまできちんとしないとさ。あの状況で伊東先生を一人で帰したら危ないのは小学生でもわかるだろうに……たとえ伊東先生自ら護衛を断ったんだとしてもさ。
  • まあ、でも、この帰り道に気をつければ済む問題でもないんだよねえ、事は。局長は伊東先生と一対一で打ち解けることはできたけれど、そのありようを組織の末端にまで共感させるのは凄く難しいだろうと思う。思えば局長は、目の前の人と打ち解けて引き入れていくのにいつも卓越した力を持っているけど、それはいつも局長とその人との極めて個人的な関係であるがゆえに超濃厚で、ゆえに組織を動かす力にはなりにくい。(ついでに言えば、ゆえに画面のこちらで見ている側にとっても、局長裁きはときどき異様に琴線に触れるものになるし、ときどき全然感情移入できないものになる)
  • 組織に馴染むのは個人と個人とのわけわかんない「情動」ではなく、伝言ゲームにしても一応中身が保たれるような「論理」なのだ。だから、「御陵衛士は俺たちと敵対している→潰すべきである」という副長の理屈のほうが組の末端にはたやすく届く。今日見ていて、「ああもう、局長と副長がまたちゃんと話し合ってないから…」と一度は思いかけたが、以上のように考えて、話し合ってどうなるもんでもないなと思い直した。局長の側にあるのは「伊東先生と私」という個人的な絆だけなんだもんなあ。そんなのを理屈に組み入れろって言われても、副長も困るよなあ。
  • つくづく、少なくともこの大河での近藤先生は、大人数の頭には向いてないように思うのだった。いや器とかは足りてたにしても、本人が居心地悪そうで気の毒だなと。一対一で目の行き届く、つまりは試衛館ズの人数くらいが一番率いやすかったんじゃあないのか。
  • さて、ただ、しかし。そんな詰めの甘い、向いてない局長だが、今日はある一つのせりふゆえに喝采を送りたいと思った。いや脚本家にか?
  • よくぞ言ったなあ、今の世にじかにつながる明治という時代が、決して新しい時代なんかではない、という意味のことを。歴史の敗者に言わせるって周到さでさ。
  • 平助の三白眼は今日のためにあったんだな…と思った。切れ上がった目といい、高い頬骨といい、この人の顔立ちは決して柔和な相じゃない。それをいつもほんわり見せていたのは役作り(と生来の品)の賜物だったと思うが、闘志だけになった場面でのあの面変り。見事だった。見とれた。
  • 逃がそうとする面々に、あんまり平助のこと馬鹿にすんなよ、と本気で憤った私はまたすっかりこのドラマに乗せられたんだろうな。今日の副長に文句をつけるとしたらたった一つ、「平助を助けたかったんなら伊東を守るしかなかったのに」だ。
  • ああ、もしかしたらサブタイトルの「決戦」は、平助から見たものだったのかもしれない。