第22回つけたし

  • よくできていた話は後になるほどやっぱり語りたくなってくる。又三郎はん、夢を語っていたときよりも、すっころんでへらへら笑っている姿がもっと切なかった。苛立っている鴨の目から見るとそれがウザいのもよくわかって、それだけに哀しかった。「殺したいほどウザい」と比喩では言うけれど、ほんとに殺しちゃっちゃおしまいよ、と、そういうことを確かめるためにフィクションの殺人てのは必要なんじゃないかなーとも思った。松谷賢示、グッジョブ。
  • あっけなく死んだ又三郎に夢があったなら、自分の斬った力士にも夢はあったんじゃないか、と思い至っての質問なんだろうね、沖田。
  • 「人を斬っても悔いなくていい唯一の身分が侍だ」って、どの程度本気で言ってるのかな、鴨は。ほんとならその台詞には前置きとして「秩序を守るために」が付くはずで、あえて無視してるのか、そんな前置きなどないと最早必死で思い込もうとしてるのか、どのへんなんでしょう。
  • 「腐ってもあきんどの真似はできねえ」のほうは、まあ掛け値なし本心なんだろうが。見てるほうとしても、鴨にチラシ配られても困るしね、ちょっとね……
  • 「生きるためにはなんでもやってきたからね〜俺たち」という原田の言葉を聞いて、たぶん斎藤は「俺だってなんでもやってきた」と思っているだろう。でも斎藤の「なんでも」を丸ごとくるむようにきっと永倉原田の「なんでも」は存在しているわけで。
  • しかし斎藤に生き生きとチラシを配られるのもちょっと困るだろう、おそらく。
  • 大河見てるとうっかり忘れそうになるんだが、労咳病むんだよなー沖田…。思えばこれまで描かれてきた沖田総司像って、わりと「夭折」から逆算されてるというか、爽やか系にしろマッド系にしろ、神様に愛されちゃってるから早く呼ばれてもしょうがないねーみたいな、若くして完成形って雰囲気のものが多かったように思う(いやほんとにそんな詳しくはないんだけど)。対して、今期大河の沖田は天才らしい突飛さはあっても、情緒面ではごく順当に(多少奥手ながらも)大人の階段昇っていってると思う。
  • このまま天才おじさんになって、天才じいさんになる姿も自然に想像できるのに、病を得るというのがどうも意外で、それがまたリアルではあって、可哀想だ。普通の人をいきなり悲劇の人にしちゃうのが病気であり、事故なんだよねえ。