第21回その他つけたし

  • 自己ツッコミ。熊太郎じゃないよ熊次郎だよ。ちょっとキャラクター商品ぽい間違いに。
  • 「俺はこっちで死ぬ覚悟でいる。あんたにも覚悟を決めてもらう」だいたいわかっていたことではあるが、おつねちゃん、あなたの最大の敵は深雪太夫でも浪士組に誘った山南さんでもなく、ここにいたみたいですよー。
  • とはいえ当時の「名を上げる」という行動は、いや今だって「自己実現」てやつは、時として末長い平和な暮らしより大切に思えることがあるもんだ。勇さんも流されているようで、根っこのところではそちらを望んでいるんだろう。どうしてもママンに見える土方さんだが、ほっとけば(何千何万の凡人と同じく)根っこだけで終ってしまいそうな勇の思いを汲んで、育ててやろうと奔走してのあの振舞いなんだろうな、とは、思うのだった。
  • 深雪太夫をいかに反感買わずに絡ませていくか、相当注意は払われているなあ。なまじ時代が今に近く、登場人物たちも身近な感じに描かれているだけに、戦国時代の側室愛妾みたいに「そういう時代だ、そういうもんだ」で済ませるわけにはいかないかもな。上手いと思ったのは20話、勇と深雪太夫が「場を収める」という共通の目的で動く人になっていたことだ。異性間の個人的な情があるだけでなくて、社会の中にも意味を持って置ける二人になったってことで、わりと見る側にも共感の余地が生まれたんじゃないだろうか。
  • そんなごちゃごちゃ前振りをつけんでも個人的には、どう転んだって京にはおつねさんいないんだから、代わりに側にいる人がないと近藤先生かわいそうだよ、とははなから思っているんだが。まあ、どうせ側にいるなら変なうじうじした女より、役割意識を持って先生を支えてくれる人のほうがいい。今のところ、思ったより深雪太夫はいい線いっている。赤い着物が素晴らしく似合うしね。
  • 余談だが、「そういう時代だ、そういうもんだ」で済みそうな時代のドラマであってさえ、最近は妙に現代っぽい理屈をつけるものが多くてなんだかなーではある。みんなそんなに一夫一婦って永遠普遍の真理だと思ってるの?
  • 芹沢にとっての近藤と沖田について、ちょっと考えてみた。どちらも汚れてないものとして映っているんだろうが、近藤は「はなから自分と違う生き物」で「汚そうとしても汚せない奴」なのかなと。好きなんだが、同時にたまらなく嫌い、というか腹の立つ存在のような。対して沖田には、自分の若い頃を重ねて見ているのかもしれない。何でもできると思っている、何にも知らない馬鹿、みたいな。
  • だから沖田のことは、(鴨の眼から見て)汚れないうちは、ただもう本当に「でえっ嫌え」なんだったりして。さっさと汚れてこっちへ来い、そしたら仲良くしてやる、とか思ってそうな。
  • あくまで鴨の眼から見たお節介な解釈であって、あの沖田に汚れてるとか汚れてないとかの通俗的な二元論が通用するのか?と、私としてはずーっと疑ってるんですけどね。