第3回 母は家出する

  • 近藤勇坂本竜馬が友人なんてありえねー!とお怒りの諸氏に伺いたいのですが(いや見てないからこんなとこ)ドラマのあの二人を見ていて、果たして本当に「友人どうし」とお感じになりますか?
  • NHKとしてはなるほど「友人」が公式見解のようだが、それはあのナレーション「勇の人柄を慕って仲間が集まり始めました」と同じく、どうも物語の正確なところを言い当てているようには思えない。画面を見ている限り、確かに近藤は坂本が大好きだ。奴は竜馬の友人の気満々でいるかもしれない。しかし坂本のほうはどうか。夕立が来るまで延々待ち続けていたくらいだから嫌ってはなかろうが、なんか友人というより、「よくなつく、面白い生き物」あたりに思ってませんか、近藤さんのこと。
  • まあ人間関係にもいろいろあるわけで、何もかも打ち明けあう間柄から、楽しい時間だけ過ごせればいいやという仲、そして話は通じないけれど面白い生き物だって友人に数えてはいけないという法はない。しかし幕末のこの時代の侍で友人といったらさ、やはり一般的には、思想を熱く語り合う仲だったりするわけでしょう。「ここは、わからんでもええとこがやき」と言われてしまう関係が、そこにあって友人といえるのか。
  • 私こそ今回妙に熱く語っていますが、なんかこの台詞が切なくてね。人生、誰かから「ここは、わからんでもええとこがやき」と言われた(んだなーと感じた)こともあるし、逆に誰かにそう言った(も同然の)ことだってある。どっちも寂しいもんだが、なんとなく江口洋介の竜馬は、その寂しさを知っている人に見える。
  • かたや、言われた言葉の寂しさを本当には理解してなさそうなのが近藤先生だ(ああ…)。家のどたばたには心底いたたまれぬ気持ちだったようだが(そしてその表情は大変に愛らしかった)
  • どたばたの一翼を担った、時間軸上初登場の藤原竜也沖田総司。障子を開け放って登場の瞬間、画面に花が咲いたようでした。
  • さて、おふでさん。第1回目の「素性の知れぬ者とのお付き合いは…」あたりは確かにきつい物言いだったけれど、どうもそれ以降、あんまり冷たさを感じないんだよねえ。なまじ私が野際陽子萌えなのがいけないのか? 愛玩犬がきゃんきゃん吠えているようで、やかましいけどつい可愛いとも思ってしまう。
  • なので、「身の程を知りなさい!」と一喝されても「いや、愛玩犬にそう言われてもねえ…」と、いまひとつ世の中の厳しさに震える方向へ感情移入できない自分がおります。おまけに、彼女も百姓の出であることが早々に明かされてしまうし。(第11回まで、これは伏せておいても良かったんじゃないのかなあ)
  • まあ「人の身分をとやかく言うのは自分の身分に不安のある人間である」という真理は、鮮やかに示されていたと思うのだが。ただそれなら、おふでさんはもっとねちっこく、イヤな虚勢を張った人になるのが筋じゃないかなとも思うわけで。しかしそんなおばはんをわざわざテレビで見たいか、という問題もあるわけで。
  • とりあえず野際陽子の可愛気は「底冷えするような身分意識」からかなり遠いところにあり、したがって勇の「俺達は死ぬまで百姓だ」という諦念の呟きもやや空回って聞こえてしまうのだが、でも、まあ、若先生馬鹿だから、すぐ真に受けちゃってもしょうがないね…という「理解の特別枠」が早くも用意されはじめた第3回であった。